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久喜陣屋
読み・・・くきじんや
所在地・・・埼玉県久喜市久喜中央4丁目(旧久喜市)
別称・・・米津氏陣屋
築城年・・・1684年
築城者・・・米津政武
主な城主・・・米津氏
米津氏歴代
1590年、徳川家康が関東に入封した際、米津田政は都筑郡、印旛郡、香取郡、埴生郡内で5000石を与えられた。
1625年に田政の子田盛が田政の跡を継ぎ、摂津国と河内国内で1万石を加増されて1万000石となった。
田盛の子政武が1684年に田盛の跡を継いだ際、政武は1万5000石のうち3000石を弟田賢に分与したため、1万2000石を領した。後に政武は、埼玉郡、多摩郡、武射郡、長柄郡、山辺郡、千葉郡、葛飾郡、印旛郡、結城郡、豊田郡、真壁郡に領地替えとなり、居所を久喜に定めたため「久喜藩」が成立した。
1698年、政武の子政矩が跡を継ぐも、1703年に政矩が死去、政矩の弟政容が政矩の養子となって跡を継いだ。
政容、政嵩、通政が続き、1798年に通政は武蔵国内の所領を出羽村山郡に移された。これに際して通政は居所を長瀞に定めたことにより、久喜藩は廃藩なった。
<現在の状況>
御陣山児童公園が久喜陣屋跡である。園内にある土の盛り上がり(写真)は、かつての首塚のようだ。
<あわせて読みたいページ>
「足利政氏館」甘棠院にある足利政氏の館。
久喜陣屋の地図→