トップ>栃木県・県北の城>さくら市>倉ヶ崎城
倉ヶ崎城
読み・・・くらがさきじょう
所在地・・・栃木県さくら市喜連川(旧喜連川町)
別称・・・大倉ヶ崎城、喜連川城
築城年・・・1186年
築城者・・・塩谷惟広
主な城主・・・塩谷氏
宇都宮一族
倉ヶ崎城を築いた塩谷惟広は、源義家の三男頼純の孫という伝承がある。だが、これに関しては信憑性がない。塩谷惟広は、川崎城を築いた塩谷氏から分かれたものであると考えられ、宇都宮一族であったと思われる。
塩谷惟広は源義経に従って源平合戦を戦い抜き戦功を挙げた。この功によって、この地を与えられ、倉ヶ崎城を築いた。
那須氏につく
1583年、宇都宮氏と婚姻関係にあった常陸の佐竹氏が、那須氏の烏山城を攻めた。この時、倉ヶ崎城の塩谷孝信が那須氏について戦い、佐竹氏を敗走させた。孝信の妻が大関高増の娘だったことから、孝信は那須氏についたのである。
宇都宮氏と那須氏は宿敵関係の間柄。孝信の兄で川崎城の塩谷義孝は、孝信が那須氏方へついたのを責め、1584年に倉ヶ崎城を攻めてこれを奪った。ところが翌年、那須氏が川崎城を攻めたことで「薄葉ヶ原の戦い」が起こると、孝信は倉ヶ崎城を取り戻している。
1590年、孝信は豊臣秀吉の小田原攻めに出陣しなかったため、これを責められて倉ヶ崎城を退城。鷲宿城へと退いた。
<現在の状況>
2014年5月、5年でお丸山公園を再生する計画が発表されました。震災により、状況は一変してしまったために、以下は震災前の状況。
倉ヶ崎城跡は、お丸山公園として憩いの場であった。お丸山公園には、シャトルエレベーター(片道150円)があり、それに乗って上まで行くのも良い。また、スカイタワー(300円)からは城跡を上から眺めることができる他、眺望を楽しむことができた。
<あわせて読みたいページ>
「宇都宮城」宇都宮氏の居城。
「川崎城」宇都宮一族、塩谷氏の居城。
「喜連川館」倉ヶ崎城と隣接し、喜連川藩の陣屋。
<さくら市の城一覧>
倉ヶ崎城の地図→