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源護陣営


   



読み・・・みなもとのまもるじんえい

所在地・・・茨城県下妻市大串

築城年・・・平安時代

築城者・・・源護

主な城主・・・源護


源護

 源護は、高望王が臣籍降下で坂東へ来るよりも前から土着していた嵯峨源氏である。高望の子の国香、良兼、良正が源護の娘を妻としたことで、両家は婚姻関係で強く結ばれていた。
 935年2月、平将門は「野本の合戦」にて、陣を敷いて平将門を待ち伏せする、源護の子の扶(たすく)・隆・繁達と戦い、敗死させた。続けて平将門は野本・石田・大串・取木を焼き払った。石田には将門の叔父平国香の館があり、大串にあったのが源護陣営である。そしてこの戦いが、平将門の乱の始まりであった。


<現在の状況>

 源護陣営は、富士神社周辺にあったといわれ、平将門関連史跡の1つである。


源護陣営の地図→