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鶉古城


   

   

   


所在地・・・群馬県邑楽郡邑楽町鶉新田

別称・・・鶉小城

築城年・・・1333年

築城者・・・北条氏

主な城主・・・北条氏、小曾根正好


北条氏が逃れた地

 鎌倉幕府滅亡の際、北条高時(14代執権)の弟、朝正と朝春が垣上駿河守・小久保図書・安藤作左衛門の3人の家臣と共に「鶉」の地に逃れ、鶉古城を築いた。
 朝正は1年ばかり滞在すると陸奥へ行き、朝春はこの地で一生を終える。

 朝正はかつて泰家と名乗っており、兄高時の後に執権となる予定であったが、長崎高資により北条貞顕が15代執権となった。執権につくことができなかった泰家は出家して恵性と号した。
 1333年、新田義貞が大軍で鎌倉に攻め込むと、恵性は新田義貞軍と戦い、そして生き延びた。恵性は朝春、垣上駿河守・小久保図書・安藤作左衛門の5人で鶉の地へ逃れ、恵性は朝正と名を変える。

 鶉古城はその後、廃城になっていたが、戦国時代に館林城赤井氏の家臣、小曾根正好によって整備改修された。今日残る遺構はこの時のものだという。
 1590年、豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた際、鶉古城は館林城とともに廃城となった。


<現在の状況>

 鶉古城は、多々良沼のすぐ隣にあり、東には南北に延びる土塁と堀が残る。
 また、北条氏が勧請した「浮島弁財天」は鶉古城の西にあり、浮島のごとく幻想的な風景が見られる。

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 「浮島弁財天」北条氏が勧請した浮島弁財天。

 「茂木館」北条朝春を養育した垣上駿河守の館。

鶉古城の地図→