トップ>県外の城>茨城県>八千代町>和歌城
和歌城
読み・・・わかじょう
所在地・・・茨城県結城郡八千代町大字若
別称・・・島城
築城年・・・不明
築城者・・・不明
主な城主・・・和歌氏、赤松氏、多賀谷三経
和歌氏と赤松氏
いつの頃からか、和歌氏が居館し、和歌氏は多賀谷氏の勢力拡大に伴って傘下に入った。永正(1504〜1521年)の末、和歌十郎が北条氏に通じていることが発覚して、多賀谷家植は赤松民部に和歌十郎を討たせたという。
その後、赤松民部が和歌城に入り、約70年間赤松氏がこの地を支配した。その間、北条氏の進出が目立つようになり、多賀谷氏と戦いを繰り広げた。その際、和歌城は北条軍による焼き打ちを受けたとみられている。
1589〜1591年、多賀谷重経の子三経が和歌城で仮住まいをして太田城へ移った。三経が太田城へ移ると、赤松氏は再び和歌城を授けられたが、結城秀康の越前転封により和歌城は廃城となった。
<現在の状況>
和歌城跡には、赤松祐弁の供養のために建立された「石造五輪塔」(写真)がある。
その五輪塔の横に、和歌城と五輪塔についての案内板があり、それが和歌城の目印となる。
<あわせて読みたいページ>
「太田城」和歌城から南にあり、多賀谷三経が築いた城。
和歌城の地図→