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鹿沼陣屋


   


読み・・・かぬまじんや

所在地・・・栃木県鹿沼市今宮町(旧鹿沼市)

別称・・・押原西町陣屋

築城年・・・1610年

築城者・・・阿部正次

主な城主・・・朽木氏、内田氏


朽木氏、内田氏

 1647年、朽木稙綱が鹿沼において5000石加増され、稙綱の所領は2万5000石となり、鹿沼を居所としたことで鹿沼藩が立藩した。
 (鹿沼陣屋の設置自体は1610年、鳩ヶ谷藩主の阿部正次によるものという。当時は鳩ヶ谷藩の飛び地支配のための陣屋と思われるが、鹿沼藩の立藩はこの時の可能性もある)

 朽木稙綱が1649年に常陸土浦へ3万石で転封となると、代わって内田正信が入封する。正信は、相模、下総、常陸で1万石を有しており、下野国の都賀郡と阿蘇郡内に5000石の加増を受けて1万5000石となった。
 以後、正衆(まさもろ)、正偏(まさゆき)と内田氏の鹿沼在封が続き、正偏の時に親族に2000石を分与したことから、鹿沼藩は1万3000石となった。
 1724年、正偏が妻女を傷つけた事件が起こり蟄居させられた。長男の正親が家督を継ぐも、3000石を減らされ、1万石で下総小見川へ移ったことから、鹿沼藩は廃藩となった。

鹿沼御成御殿

 内田正衆の時、陣屋内に御成御殿が建設された。
 1663年に4代将軍徳川家綱が日光社参を行い、その帰りの際に家綱は鹿沼御成御殿で休息した。


<現在の状況>

 鹿沼中央小学校が建っている場所が、鹿沼陣屋があった場所である。
 ちなみにこの場所は「御殿場」と呼ばれており、その説明の案内板が小学校前に建っている。


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 「押原東町陣屋」岩槻藩阿部氏の飛び地支配のための陣屋。


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