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能忍地陣屋


     

読み・・・のうねんじじんや

所在地・・・栃木県佐野市田沼町(旧田沼町)

別称・・・鹿沼藩出張陣屋

築城年・・・1639年

築城者・・・朽木稙綱

主な城主・・・朽木氏


朽木稙綱の知行

 徳川家光に仕えた朽木稙綱は、1639年に能忍地に陣屋を設けた。その後、稙綱は1647年に鹿沼に入って鹿沼藩2万5000石を立藩するも、1649年に常陸土浦3万石で転封。
 稙綱の土浦転封に伴い、この地は天領(幕府領)となる。

疑問点

 調べていた時に起こった疑問点を書く。

 朽木稙綱が鹿沼藩主となったのは1647年であるが、稙綱は1636年に既に鹿沼に入っていたという記述を見た。
 『田沼町史』の中で、「町域での鹿沼藩領成立は、寛永13年の朽木稙綱の入部にはじまる」という文があり、寛永13年は1636年。
 また、同じく『田沼町史』の「田沼村」に関する記述では、「寛永16年(1639)に、旗本朽木民部少輔稙綱の知行地となり、能忍地に陣屋をおいた」とある。
 一見すると、1636年に稙綱は鹿沼に入部し、1639年に能忍地陣屋が設けられたかに見えるが、稙綱の鹿沼入部時期が違えば、当然ながら能忍地陣屋の性格は異なる。
 つまり、稙綱の鹿沼入部が1636年では、能忍地陣屋は飛び地を管理するために設けられた陣屋となる。一方、稙綱の鹿沼入部が1647年では、能忍地陣屋を居所としていた稙綱が鹿沼に入った形となり、陣屋は飛び地管理として残されたのであろう。

 稙綱が鹿沼に入ったのは1647年と思われるが、疑問点として付け加えておく。


<現在の状況>

 佐野市民病院の北に、「忍池」と呼ばれる池があり、その近辺が能忍地陣屋があった場所とされる。
 近くには、「忍池工事記念碑」が建ち、それも目印となる。


<あわせて読みたいページ>


 「鹿沼陣屋」朽木稙綱が立藩した鹿沼藩。


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